強烈な思い出がある街が自分の中にあるのは、なんか感傷に浸れてひとりエモ体験で面白いねっていうお話です。自分も変わるし、街も変わる。思い出との差分に酔いしれた本日。
私にとっての強烈な思い出の街
久しぶりに津田沼にきた。といっても、年一回は来てるので「うおおお何年ぶりですか!?元地元にいく手前の子どものころの大都会津田沼懐かしくてエモくて死ぬう!」とまではならないけど、前回は気づかなかった変わってるもの、変わっていないものがいろいろある。
今日はJRではなくて京成線で来たこともあって、より久々に通る道が多くて、覚えてるかなと一抹の不安があった。それでも足は勝手に向かうもので、20年近く染み付いたものは早々抜けることはなかった。30分くらいを見込んでいたけれど、昔と同じ15分くらいで京成津田沼からJR津田沼まで着いた。
もっと近道で帰れるのに、みんなや好きな人運良く二人になれて一緒にいたいから、わざわざ遠回りしたなとか。このすき家の前でずっと立ち話して、終電に駆け込んでいったなとか。色んな記憶が押し寄せてきて、妙な充足感。
今日の友達との約束よりも2時間早くついたからこそできたことでもある。
知っている世界線が狭かった
津田沼まで電車と自転車で30分くらいかかるところに住んでいた身としては津田沼は大都会だった。
パルコがあって、丸井があって(当時)、イトーヨーカドーもある。ハーゲンダッツがスーパーやコンビニじゃないところでも食べれて(数少ない店舗が津田沼にあった)、ミスドもあって、スタバもある。プリクラも最新機種で撮れる。電車はちょっと離れているけど、JRで東京にいけるし、なによりも始発もでているから座っていける可能性もある。
本屋さんは大きいものがいくつもあるし、地元と違ってCDショップは本屋さんの中の一角に併設されているのではなく単独で大きいスペースが設けられてる。
居酒屋もたくさんあるし、美味しいご飯屋さんも地味に多いし、ラーメン屋さんもたくさんある。いつも煌びやかな印象だった。
でも、大好きだった立ち飲み屋さんやカフェ、中学生のときに通ってた塾や大学生の時のアルバイト先などたくさんのものがなくなっている。そして、再来年にはパルコも閉館する。
今思えばいつかのタイミングから、思っていたよりも夜のネオンが暗いように感じ始めていた。良くも悪くも、私は煌びやかなものをみすぎてきてしまったのかもしれない。
もしくは、あの時の自分が精力的に動いていて、エネルギッシュで煌びやかで、今の自分がそうじゃないからそう見えてしまっているのか(いや、今は今として色んなことを乗り越えて過ごしているはず…。)
なぜこのギャップを感じるのか
今でも津田沼は大好きだし住んだらとても便利だと思う。いつの間にかタワマンもできていて、どちらかというと値段も高い部類だと思う。街としての価値はなんら下がってないと思う。でも、記憶にある津田沼といまの津田沼がどこか違う。
あると思っていたところがなくなっていて、違うものに切り替わっていたり、そもそも跡地には何も入っていなかったり、どこか心が少しキュッとなる。
ずっと同じものがあるとは思わないし、自分自身だって年月と共に変わっていくから、同じ状況なわけでないことくらいはわかっている。
それでも、ところどころ感じる思い出との差分が、とてもとてもさみしい。
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#1ヶ月書くチャレンジday4
久々に友達と会えてたのしかった(´;ω;`)
エモい気持ちにもなれて、なんかちょっと充実した気持ちになれた。休みっぽい休み。
目的は10年ぶりにラージャにいくこと、ラージャうんまい。
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